ビデオアルバム(風の道農園)

  • 夢のあとに・パルミラ(H20.4)
    大きく見るにはサムネイルをクリックします。

フォトアルバム(郷の四季)

  • オオナルコユリ
    大きく見るにはサムネイルをクリックします。

フォトアルバム(里山の自然)

  • ニホンカワトンボ?   (カワトンボ科)
    大きく見るにはサムネイルをクリックします。

フォトアルバム(吾国山・難台山の植物)

  • 春の植物・山野草 (3月・4月・5月)
    大きく見るにはサムネイルをクリックします。

マイ アルバム(四季の水彩画)

  • ウクライナの娘
    大きく見るにはサムネイルをクリックします。

« 【H20・3月の様子】・春はなのみの | トップページ | 【H20・5月の様子】・代掻き »

2008(H20)・4月
■ 鳴滝の林道脇に咲くソメイヨシノ
(4月5日)

H2046_0062

■ シリア・ヨルダン旅行(その1)・ダマスカス(4月20日)
 
5回目の海外旅行。文明の十字路、中東、シリアからヨルダンを10日間ほど巡った。添乗員同行、参加者14名のツアー旅行である。他の地域に比べて治安は良くないと聞くが一度は旅してみたいと思っていた地域なので無事の生還を祈りつつ旅の途に着いたのである。

 日本とシリアの時差は夏時間で6時間であるが、遠いこと夥しい。関空からカタール航空でドーハまで11時間、ここで7時間もの長い待ち合わせの後、3時間の飛行で次の日の夕刻、やっとダマスカス空港に到着した。到着後、いきなりスークの観光となる。明日は安息日でお店が休みになると言うのだ。

 ダマスカスは紀元前2000年から栄えた町で人口は200万、カシオン山を背景に新旧の市街が広がり、中心部は近代的な都市であるが、一歩裏道に入ればブロックをモルタルで固めたような家並が密集し人々の暮らしぶりが推し計れそうであった。
 ポンコツ車同然の車が走り回り、交差点はいつも渋滞して騒がしい。見所は聖ヨハネの首が安置されるウマイヤドモスクなど。ホムスからやって来た女子高校生らしい一群と会ったが日本への関心が強いらしく、逆に同行者が写真を盛んに撮られていたよ。未婚の子はベールを被らなくても良いらしい。

H20410_0061

H20411_0531 H20411_0591_2

■ シリア・ヨルダン旅行(その2)・パルミラ遺跡(4月20日) 
 ダマスカスから砂漠の中をバスで走ること3時間、パルミラ市内のホテルに到着。ここで2連泊する。パルミラ遺跡観光は今回の旅行のハイライトである。宿泊ホテルから10分も歩けば広大な遺跡に着く。ごろごろと転がっている夥しい風化した石材を避けながら有名な記念門(写真上)、ベル神殿、列柱道路などを見て廻った。目に着く遺跡群は砂に埋もれていたものを復元したものであると言う。

 夕方、天気が良いので遺跡を眼下に俯瞰できる城塞に向かった。バスの運転手、城塞の急こう配の坂道をバックで器用に登り切るとは良い度胸だった。砂漠のかなたに沈む夕日にしばし絶句、ゼノビアの昔に思いを馳せた。

 自由時間に町中を歩いていると赤ん坊を抱いた女性に何度も呼び止められた。お布施をねだるのである。一度は恵んであげたが二度目はねえ。

   https://youtu.be/uEcUL_YyhYk

H20412_1601

H20412_1031 H20412_1091

H20412_1391_2 H20411_0991

■ シリア・ヨルダン旅行(その3)・国境越え・死海(4月20日)
  シリア、ヨルダン国境で両国の出入国検査が行われた。手続きは現地ガイドと運転手がやってくれるので我々はバスの中で待って係官の指示に従っていれば良かった。ヨルダン入国ではスーツケースの検査などで大分時間をとられた。特に女性は爆弾を隠し持っている恐れがあると、ボディチェックが厳しかった様に聞く。

 さて、死海のあるヨルダン渓谷の標高はマイナス400m、大地溝帯が走る世界で最も低い場所として知られる。アンマンの標高1000mの冬場、積雪のある高地から砂漠の中を地球の中心に向かって一気に下って行くと地の底に緑野が開け、湖畔に高級リゾートホテルが建ち並ぶ常夏の世界が出現。その変化には驚くべきものがあった。

 真夏には気温が40℃近くになると言うが、全土の8割を砂漠が占めるヨルダンでは冬も温暖な渓谷東岸は農業に恵まれた環境で灌漑設備も整い野菜、果物などの一大生産地となっているとか。
 気温が高いため湖水の蒸散が激しく、死海の塩分濃度は海水の6倍以上もあると言う。湖岸の岩には白い塩が析出し、文字通り生物の近寄れない死の海であった。


H20416_2561

H20415_2491 H20415_2511

  死海周辺には旧約聖書に因む史跡が数多く存在する。死海を見下ろす“ネポ山”はモーゼがエジプトを逃れ放浪の果てに辿り着いた終焉の地とされ、モーゼを記念した教会がある。しかし、現在修復中で入場できなかった。
 “杖のモニュメント”の展望台から死海方面を眺めたが靄(もや)が掛かって対岸のイスラエルはおろか何も見えず。有名な“死海文書”はアンマンのヨルダン考古学博物館に展示されているのを見た。レプリカかも知れないが・・・。

 (
死海文書:1947年、羊飼いが死海ほら穴の甕の中で発見した羊皮紙に書かれた古文書。内容は2000年前の旧約聖書などの写本と言う。写真下)

H20415_2201

■ シリア・ヨルダン旅行(その4)・ペトラ遺跡(4月20日)
 
予期していた通りペトラのホテルはチップを置くのも嫌になるほど酷いものであった。水の出が悪いしコップもちり紙も置かれていない。それでも少女のようなメイドさんに罪はないので朝1ドル置いて遺跡観光に出かけた。

 早朝、メインゲートから“シーク”入口まで乗馬を体験。入口からは歩く。細い谷間を1200mほど進むと“エルハズネ”のある広場に出た。その先は岩山に囲まれた平坦地で夥しい遺跡群が延々と続いていた。縞模様のある砂岩の岩壁を彫りぬいた巨大な遺跡群は住居なのか墓所なのか文字の文化が無いらしく未解明な部分の多い謎の遺跡だそうである。

 レストランで昼食後、自由行動。夕刻までにホテルに戻ればよいと言う。たいていの人が岩山の上にある“エドディル”を目指した。しかし、1000段余りの曲りくねった石段を上がらねばならない。日頃、運動していない体には大変な負担で何と70歳のO夫人にまで追い越されビリになってしまったよ。(苦笑)
 下山の頃には気温も上昇し、観光客が増え始めて遺跡は埃っぽくなった。帰り道は足が重くホテルまでの距離が途方もなく長く感ぜられた。

H20417_3041 H20417_3131

H20417_3221 H20417_3391

 最後はバスでデザットハイウェイを南下、ヨルダン最南のワディラムへ向かった。荒涼とした砂漠の中に小高い岩山が現れるや“七つの知恵の柱”のビジターセンターに到着。第一次大戦中、彼のローレンスが活躍した場所で周辺は遊牧民ベドウィンの住む秘境である。
 4WD幌付きの軽トラの荷台に乗せられ月面のような砂漠を疾走。舌を噛まないように歯をくいしばる。砂埃が酷いのでスカーフで眼鼻を覆うと皆ベドウィンのような恰好になった。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 旅の総括:ペトラでの乗馬体験と言い、岩壁を1000段も登るクライムと言い、死海での浮遊体験といい、大変記憶に残る旅であったが同時に軟弱な老体にはこたえる旅でもあった。それにしても同行諸氏、同年輩でありながらタフであったことは言うまでもない。
 ホテルは旅行費が安いので仕方ないか。

H20416_2981

■ シイタケ大発生(4月25日)
 
旅行で10日ほど留守した間に、ホダ木からシイタケがたくさん出ていた。大きいもので傘の直径12~13cmのものがあった。
 隣の子供の話では留守中、毎日水を遣ってくれたそうである。感謝の印にシイタケと旅行みやげ
をプレゼントした。

H20425_0041

■ 水鏡(4月27日)
 
広い池が出現。遠くの山、近くの森や林がしばしの間、田の水面に映る。田植えも間近なようである。


H20425_0062

■ ぶどうの芽吹き(4月27日)

H20425_0181

■ りんごの花(4月27日)
 
「つがる」の優しげな花が数輪咲いた。


H204251

« 【H20・3月の様子】・春はなのみの | トップページ | 【H20・5月の様子】・代掻き »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 【H20・3月の様子】・春はなのみの | トップページ | 【H20・5月の様子】・代掻き »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ